挿話 二 back next

 

 


 ふと顔を上げると、半分瞼を閉じた老人の視線を感じた。
 ヴァイスは老人に対してなにかしら後ろめたいという感情が沸きあがり、視線を逸らす。
理由はみつからない。が、老人の責めるような表情は、ヴァイスを怯えさせるに充分だった。
 陽が落ち、やわらかくそれでいて陰鬱なろうそくの明かりのみが室内を照らす。
 老人はヴァイスの心情を察したかのようにわずかに肩をすくませた。
「あれはマリアの最大の警告であった」
 老人はヴァイスの読み上げる日記に、書かれていないマリアの心情などを付け加えるときがあった。そして今も大きなため息と共に、ともすれば聞き流してしまうほどのさりげなさで言ったのだ。
「なんのことだ」
ヴァイスは片方の目を細める。
「女としてではなく、臣下としての最大の警告だわな」
「……子供に聞かせる話ではないことはたしかだ。で、警告するほど恐ろしいことがあるのか」
 老人の一言一言に息苦しさを感じながら、ヴァイスは虚勢を張りながらこたえた。
「あなたはいったい誰ですか、その言葉にすべて集約されとるよ。さて」
 老人は立ち上がり奥の部屋に入っていった。オレンジの明かりが漏れる。しばらくすると、なにかしら食器が触れ合う音がして次に香ばしい香りが漂ってきた。
 ちらりとソールの方をみると、毛布に包まり静かな寝息を立てている。ヴァイスは屈み込んで少年を抱き起こす。ソールはわずかに身じろぎをしたが起きる様子はなく、むしろヴァイスの首に腕を巻きつけて頭を寄せてきた。
 石鹸のような清涼感溢れる香りではなかった。むしろ饐えた体臭だった。しかしヴァイスはソールを抱き寄せると、途端に少年がいとおしくなったのだ。そんな気持ちになぜなるのかは言い表し難い。少年の身体は痩せ細り、軽く、骨ばっている。無理に抱きしめようものなら、たちまちのうちに砕けてしまうのではないかと思うほど。
 ヴァイスはソールを寝台に寝かせ、上掛けをかけてやる。その場を離れようとして立ち上がると、不意に引っ張られた。意識がないにも関わらず、ソールがヴァイスの指を掴んで離さないのだ。
 仕方なくというより、むしろ自ら進んでヴァイスは寝台に腰かけた。粗末な作りの寝台である。木枠は華奢なソールの体重さえ受け入れる際に悲鳴をあげた。
 手が自然とソールの前髪をかきあげる。健やかな寝顔からは、とても呪われた一族の末裔だとは想像できない。
 ソールの額から、かさついた頬へとゆっくりと数回撫でる。ヴァイスは口元をほころばせた。今日会ったばかりだというのに、久しぶりに会ったような懐かしさが込み上げてくるのだ。それまで意識しなかったことだが、こうして寝顔を見ていると保護欲をかきたてられる。
「今日はここまでにしよう」
 再び現れた老人は、両手に湯気が立つカップを持っていた。
 彼らはどちらかが勧めるわけではなく、当たり前のようにテーブルを囲い向かい合って座った。
 老人はヴァイスの前に濃い茶の色をした飲み物をそっと置き、自分には黒い飲み物を置いた。
「俺は王妃じゃないぜ」
 それでもヴァイスは片目をつむり、カップを持ち上げる。当然の如く差し出された紅茶は、まさしく日記の中に書かれていたブレンドティーと同じものだった。
「まさかとは思うたが」
「ん」
「やはりそういう運命なんじゃろうて、わしらは」
 老人は懐からあのフェイクの石をはめたネックレスを出して、両手で弄びながらため息を吐き出した。蝋燭のひかりにさらされたそれは、ことさらに曇り自身の品をことごとく貶めた。
「……」
 ヴァイスは口を開かず、耳を傾けていた。またそうするべきなのだと、なんとなく自分を説得している。老人の喉の奥に詰まっている話の内容は、ヴァイスにもわかるような気がした。そのことについて嫌悪や否定的な考えはまったく浮かばなかった。そうなのだろうと、妙に納得する自分がいる。
「これは先代が一度手放した代物だ。その時についた値はいくらだったかね、本当に下らんよ。かつて王子が思うておるほどに、価値はないと言いおる」
「王家の末裔が、家宝を売ったのか」
 ヴァイスは鼻で笑った。
「宝と呼ばれているものなど、所詮屑同然なのだよ。価値とは、すなわち人の想いであり、人の欲だわな」
 老人は深く椅子に座りなおした。彼の手に持つカップからはもう湯気が出ていなかった。
 ヴァイスは最後の一口を喉に流しこんだ。
「しかし今手元に戻ってきている。本来在るべき場所へと」
「……」
「呪いとは必ず解かれるものじゃ。そしてそれが今なのだろうな」
 

 

 

back 目次 next

 

←ランキングに参加中

 

素材提供:Heaven's Garden様

 

 

NOVEL HOME


Copyright (C) 2009 erry all rights Reserved.