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雪が降る。
真っ赤になった手をこすり合わせ、リュンヌは曇った窓の外を眺めていた。暖炉の火は弱々しく、わずかに室内を暖めている。
食料庫にはどれくらいの量が残っているだろう。塩漬けにした野菜や、干した果物はまだたくさんある。薪は一部屋を暖める分は充分あるはずだ。足りないのは、なんだろう。
窓に映る自分と赤髪の少女。リュンヌは振り返らなかった。できようか。少女の面持ちは険しく、否が応でも父親が知れる。
そっと窓に指を当ててみた。ひんやりとまるで氷のように冷たく、指に水滴がまとわりつく。
少女は主の了解を得るのももどかしく、雪を撒き散らしながら舘に入ってきた。彼女はリュンヌを上から下まで睨みつけるように観察した。
「ずいぶん歳をとられて」
剣呑な声が背に突き刺さるが受け流すだけの余裕はあった。確かに、自分でも驚くほど外見だけが歳を重ねたように思う。
ぱさついた銀の髪に手を伸ばし、ゆっくりと撫でながらリュンヌは苦笑を洩らした。
少女が乗ってきた馬の蹄跡はすでに雪に埋もれていた。
「昼間だというのに、まるで夜みたい」
遠くを眺め、少女の聞きたいこととは違うであろうにわざとそう言ってみる。
「火急の用です」
防寒もそこそこに、吹雪の中を馬を潰す直前まで走らせるのだからよっぽどのことなのだろう。観念したように、リュンヌは振り返った。本当はそうしたくはなかったのに。
対峙してリュンヌは息を飲み込み、背筋を伸ばした。あれからずいぶんと年月が経ったものだ。もう侍女も、常駐管理の老夫婦もいない。
二歳だった娘も十四になろうとしている。
逆立つ髪は気性が荒いと聞いたことがある。さらに凛とした眼差しは女性的というより男性的な意志の強さを感じさせた。ヴィヴィアンヌの防寒具の下には細く長い獲物が覗いている。剣の道を進んだのだろう。供を連れずに単身で来たのは、腕に自信があるのかそれほともよほど急いでいたのか、いずれにしろ軽率である。
「王が……いえ、父上が亡くなられました」
「え」
あまりにもの平静な物言いに、リュンヌは驚くよりもとんだ聞き違いだと苦笑いをしながら声を発した。だが逆立つ赤髪の少女は顎をひき、それが事実だと表情だけで告げている。
しかしリュンヌの方も、夫の年齢を考慮すればさほど驚くべきことではない。ただ彼の性格からして、信じられないと口をついて出てしまいそうだが。
「それで私にどうしろと」
「母上、玉座を私に」
「まあ」
自分にしか務まらないとでもいうのだろうか、それとも我欲からか? 娘の心情はわからぬけれども、玉座に就かなければならないという強い気迫は、シュッダイナのものとよく似ている。
「暢気に返答をしないでください」
ヴィヴィアンヌの頬は紅潮した。リュンヌの衿元に掴みかかり、壁に打ち付ける。
「あなたはっ」
リュンヌはヴィヴィアンヌほどの情をもてないのかもしれない。シュッダイナが死んだと聞いても、少しも動揺しないのだ。また娘の激情を受け止められずにいる。
遠くで暖炉の火がはぜた。
無抵抗に罪悪感を感じたのか、ヴィヴィアンヌはそろそろと掴んでいた手を離した。
「私は城を離れた身です」
「わかっています」
「今更……、それに第一王位継承権はソレイユ殿にあるはずで、覆せません」
ヴィヴィアンヌは目を見開き、次いで唇を噛み締めた。今にも噛み付かれそうだ。
「私の判断は、周囲の不和を招くでしょう。どちらを指名したとしても」
娘の気持ちを汲んでやりたいとは思うが、描いた将来像ではない。少女にはなんの不安もなく、女としての喜びを味わって欲しい、それだけなのになぜ渦中に身を置く必要があるのだ。
それに、とリュンヌはほうっと息を吐き出し、手を擦り合わせる。かさかさと音がするほど荒れていた。そんな自分の状態と、かつて下着一枚すら侍女に着せてもらわなければならなかった生活を比べてみた。またヴィヴィアンヌの状態を見る。彼女は健康的に陽に焼け、それでも充分に手入れをされた肌は、内側から瑞々しく輝いている。
こんなみずぼらしい格好の女に誰が従うというのだろうか。
「ふざけるなっ」
沈黙にヴィヴィアンヌは木の壁を殴った。
「この耄碌ばばあめっ、人を見る目まで衰えたかっ。あの男は腑抜けだ、ドグマニード王家をいつか滅ぼすっ」
リュンヌは目を見開いて驚き、次いで荒い息をする娘を見て視線を逸らせた。真実よりも、娘の言動がまったくもって女のそれとかけ離れていることに幻滅したのだ。
「なぜそのようなことを」
ようやく搾り出した声は掠れていた。
シュッダイナと比べれば柔腰のところはあるだろう。だが暗愚ではない。
「あなたのその、人を見抜けぬ幼さは自国をそれこそ貶める。シュッダイナ……王はあなたに玉座を譲るとおっしゃいましたか」
ヴィヴィアンヌは一呼吸おいて首を横に振る。それがこたえならば、とリュンヌはじっと娘を見つめた。赤毛によく似合うはしばみ色の目が睨むように見返してきた。娘は自分を母親だと認めるのが苦痛なのだろう。シュッダイナの死によって思い出したに過ぎない存在。
「大きくなりましたね。こちらに来て」
両の手を指し伸ばし、そろそろと娘の背に回してみる。少女は身体を強張らせたが振り払おうとはしなかった。
「あなたがシュッダイナを看取ったの?」
「――っ」
かすかに頷く。リュンヌは娘の頭をかき抱き、頬を寄せた。
「あの人は安らかに」
目を閉じる。思い出すのは、あの大きく野太い笑い声。
「逝きましたか」
「愛していましたか」
「え」
涙に濡れることなく、しかし潤んだ大きな目は先ほどの憤怒を潜ませこちらを見上げていた。
「父上を」
周囲はこの小さな肩になにを乗せたのだろうか。すべては自分が悪いのだとわかっている。こうして再会したのさえ奇跡だ。
ため息を吐き出していいのかさえも判断できぬ。
「あなたを手放した時、身体が引きちぎられる思いでした。シュッダイナとは、思うところはありましたが、でも」
言葉を切り、リュンヌは虚空を見つめた。
少女の身体はあまりにも冷たい。
「私を心底愛してくれました。愛していましたよ、彼が与えてくれるなにもかもに、嫌悪と同時に不安を抱きながらも。安らかに逝ったのならそれでいい。あなたには、幸せに玉座など不自由な場所に就くのではなく、恋をして人を愛して普通に添い遂げて欲しいと望んでいました」
普通、とはなにか。女の幸せとは、それぞれによってこんなにも違うのか。
サリエヌ、逝った人間を思い出す。後悔なのだ、そして名を呟くたびに懺悔する。そもそも彼女を救うなど、おこがましい。彼女の幸せは一身にリュンヌに託されたというのに、けれど自分は生きているソレイユを救いたかったのだ。娘には一生理解できないであろう、故に話すことはない。
とうとうソレイユが玉座に就く。この日をどんなに待っていたか――ああ神様。
思い描いた男は黄金を戴き玉座に座り、背には光が差していた。
「っ」
掴まれた腕に痛みを覚え、反射的に娘を振り払った。見ると二の腕あたりの衣服に血が滲んでいる。
「それならば尚のこと、あの男を玉座に就けることは許さない。父からあなたを奪い、それ故にあなたはこんなところに住んでいる」
「ちが」
「権限はあなたにある。王家の妻に継がれる首飾りがその証拠だ。王亡きあと、次の王が玉座に就くまでにすべての権限を持つという。城に来てもらいます、そして私を王に」
剣呑な目に、リュンヌは身の危険を感じた。一歩でも動けば、娘が腰に帯びた剣が引き抜かれ向けられる、そんな予感がした。

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