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ペンを置き、書いた内容を読み返してリュンヌは柔らかに微笑んだ。それは少女のように無邪気というには相応しくはなく、あらゆる物事に対して寛容である笑みだった。こうして穏やかにリュンヌは王妃として過ごし、サリエヌを見送ってより早二年が経とうとしている。
その間、ソレイユとの関係が進展したかと思えばそうではない。彼は寂しさを紛らわせるため、リュンヌをサリエヌの代わりとしたが、一線を越えることはついになかった。
シュッダイナとは、そこそこに距離を保ちよい関係が続いている。変化といえば、王は子供が生まれてよりいっそう老け込んだ。王の威厳はもはや臣下の前だけで、リュンヌや子供の前ではその厳しい顔がくしゃくしゃに崩れるのだ。
彼は自分に似ている女児にヴィヴィアンヌと名づけ、己が知っている全てを叩き込もうとしていた。
小窓から庭を見下ろして、リュンヌは探し人を見つけると軽く手を振る。ヴィヴィアンヌはお気に入りの侍女と土いじりに夢中だった。声をかけたとしても、なにかに夢中であるときは振り向いてくれないだろう。そろそろ昼食の時間だと告げなければ。
心の奥にほっこりと湧き上がる温かい感情は、当初王家に抱いていた負の感情など忘れ去るに充分なものだった。
リュンヌは日記帳を引き出しにそっとしまった。やりかけの編物を始めようと作業台を振り返ると、王がロッキングチェアに座って待っていた。
リュンヌはいらっしゃいと言い、彼の隣に腰掛け、籠に入った編み棒をとって編み始める。
椅子は陽がよく差し込む位置に置かれ、窓越しのそれは温かく穏やかで眠気を誘う。
「ずいぶん長くなったものだ」
隣で腰かける王は、リュンヌの編み棒を目で追って深く頷いた。
ヴィヴィアンヌと同じ深い赤色をした毛糸が、するすると編み棒に吸い込まれていく。王妃はこれからの防寒対策のひとつとしてマフラーを編んでいる最中だった。王も侍女たちも機動性が低くなるそのようなものを持ったことはないが、ファッション性が高いマフラーは婦人に人気のアイテムである。だが重視するのはファッション性であり、機能性ではない。リュンヌが編むような太く寸胴な編地は、考えられないに違いない。
「子供用ですから、あまり長いと引っかかっるので、このあたりで止めようかと思っています」
「わしにはないのか」
王はこのところ政務をソレイユに任せ、自分はリュンヌと共に一日を過ごす日が多くなっていた。
王に対して、嫌悪はない。耄碌した優しい老人は、リュンヌに害を与えず、また己の子の父でもあるのだ。憎むべき対象ではない。けれどそれ以上の感情をもてないのも事実で、やはり胸中を騒がすのはソレイユただひとり。
彼のことを考えれば、あきらめのため息が出てくる。彼はリュンヌをリュンヌとして、愛しい女として接しているわけでは決してないのだから。
だがなんという矛盾。
アリィの代わりに王に愛されるのはどうしても我慢ができなかったくせに、恋しい男には身代わりの愛でもなんでもよかった。
「もう引退するおつもりですか。マフラーを首に巻き、揺れる椅子に座って政務をするなど想像ができません」
手を休めず、くすりと笑う。
「それも良いかも知れぬ。その時は、そうだ。昔……街を一望できる小高い丘に家があってな。そこに三人で余生を過ごせたらいい」
思わぬ肯定に、リュンヌは手を止めて王を見た。彼は肩の力を抜いた自然な笑みを浮かべている。彼の手はゆっくりと近付きリュンヌの手に重ねられた。温かく重い手だった。リュンヌは王の真意を測りかねて首を傾げる。
「気弱なことをおっしゃいますね」
「わしは玉座に未練はない。やりたいことをやったからな。後は愛する女と共に過ごしたい。今までゆっくりと」
言いかけたところで、外の方が騒がしくなった。
複数の足音が聞こえ、対応にマリアが出向いたはずだがその声さえも上ずって聞こえてきた。
リュンヌと王はしばし顔を見合わせる。尋常ではない外の騒ぎに、王は眉間に皺を寄せて唇を引き結んだ。椅子から立ち上がり、王は背筋を伸ばして身構える。
王妃は籠の中に毛糸玉を入れて、小窓から我が子の姿を探した。ヴィヴィアンヌはすでに、侍女に手を引かれて城内に入ったようだ。
王は自ら扉を開けて外に出た。後ろ手で閉めたのは、問題から王妃を遠ざけようとする配慮からだろう。だが王妃は閉められた扉に身体を預け、耳を押し付ける。なにか嫌な予感がしたのだ。
ぶ厚い扉から洩れ聞こえるのは、わずかな声の断片でしかなく端々が非常に硬質な響きである。
最も低く大きい王の声は未だに聞こえない。
「リュンヌ様」
背後でマリアの声がした。
侍女が使う専用の通路で部屋に戻ってきたのだ。彼女は始終険しい表情をして、王妃を見つめていた。両手はかたく爪あとが残るほど組まれている。
まさかヴィヴィアンヌになにかあったのではなかろうか。
「いったいどう」
問い詰めようとにじり寄った時、マリアの片方の目から大粒の涙が一筋流れた。彼女は表情も変えないにも関わらず。
「亡くなられました」
「え」
耳を疑い、侍女頭の表情をも疑った。その言葉は、温かな日差しの中で聞くものではない。
「サリエヌ様が」
呼吸が止まる。
リュンヌは長いことその意味がわからず動きを止めて考えてみた。
「もう一度」
「亡くなられたのです」
「誰が」
その事実にあって、マリアは決して目を逸らさなかった。毅然とした態度と姿勢で、告げるマリアは宣告者のように無慈悲な女だった。無表情で、かける声は冷たく抑揚がない。
名を告げるためマリアの口がゆっくりと動く。
声がしかし、リュンヌには聞き取れなかった。一瞬、身体がふらつく。だが支えてくれるべき手はない。

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素材提供:Heaven's Garden様
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