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困惑の表情は一瞬のことで、ソレイユはリュンヌの告白を予期していたのか、さして驚きの表情はせず、ついと身体を寄せてきた。
逃げ腰のリュンヌを、腕を回して支えて逃げられないようにした。
彼はリュンヌと視線を交わし、次に軽く額に唇を寄せた。
「な」
驚きの声をあげたのはリュンヌである。予想もできなかった彼の回答に、思考が停止した王妃はうまく切り返すことができなかった。
「以前よりずいぶん体調が良くなったようですね。後宮に上がられたときは、もう少し痩せておられた。今のあなたは女性として充分魅力的です。しかし残念ながらあなたは他の男のものだ。僕がさらってしまうわけにはいかない。おわかりですか、誰にそそのかされたのかわかりませんが、あなたも僕も自らを貶めることはできない。またそういうことはしないと思っていました」
笑顔で言われれば、リュンヌは「自分」をこれ以上主張できない。彼はやわらかく己の立場をわきまえろと言っているのだ。彼は権力に下らなかった。しかし考えてみれば当然のことで、彼は王ではないものの、第一王位継承者であるのだ。
黙ってうつむくリュンヌに、ソレイユはほっと息を吐き出した。
「正直に言えば、僕はあなたが嫌いです。横から王位継承権をさらってしまうような方ですからね」
そんなつもりは毛頭ない、リュンヌは反論しそうになって口をつぐんだ。実際、腹の中には王の子がいる。生まれてしまえば、彼の王位継承権ははたしてそのままであろうか。
発言の内容とは裏腹にソレイユの手は優しくリュンヌの頬を撫でていた。
リュンヌはされるがままになっている。視線は彼から離れない。
その最中、ソレイユはリュンヌの肩越しになにかを見たようだ。真顔になって、リュンヌの頬をいとおしむように撫でていた手を止めた。
リュンヌはいぶかしんで、ゆっくりと振り返る。目にとまった人物に、リュンヌは慌てて立ち上がった。取り繕う余裕はまだない。
背後では立ち上がったソレイユもまた緊張した面持ちであった。
王はさながら恋人のように寄り添って座るふたりに、眉をしかめた。今すぐにでも抜刀し、ソレイユを切り付けたいと思った。だが彼はリュンヌの膨らみかけた腹を見ると、以前よりは衝動を抑えることができたのだ。不思議なことに二度と得ることはないだろうと思っていた幸せは、間違いなくここにある。事実、彼女の腹の子は自分の子であるし、王妃も自分のものであるからだ。彼女が自分を見限ろうとしても、王妃という位は彼女を否応なく縛り付ける。
問題はそこにリュンヌの意思が介在しないということの一点のみである。
王はそのことを時折寂しいとは感じていたものの、豪快に笑い飛ばしてしまうほどの度量は持ち合わせていると自覚していた。故に、王妃の気持ちがどちらに向いているであろうと関係なく、また王妃に注がれる視線の数々に我ながら辛抱強く耐えることができた。
所詮どちらも己の手の中である。
横暴だといわれればその通りだ。
だがだれも忠告などするはずもない。
王は速やかに王妃の腰を抱いて引き寄せる。彼女は怯えたように自分を見上げた。それがかつて恋焦がれた女の表情によく似ていてはっとさせられる。女はいつも自分に怯えて隠れていた。女のこどもを教会で見つけたときは、心臓が止まってしまうのではないか、寿命が尽きてしまうのではないかと思うほど自分の幸運に怯えた。
目を閉じれば、握った手はあの女のもののようだ。だから常に目を開けて現実を確かめるしかなかった。思わずあの女の名を口に出してしまいそうになりながら。
一瞬でもリュンヌが自分の名を呼ぼうものなら、おそらく自分は涙したに違いない。
「リュンヌ」
言えば王妃は食い入るようにこちらを見つめてくる。なにか自分の表情がおかしかったのかもしれない。
彼女はしかし、ふっと微笑み首を傾げた。
人に優しくするという具体的なことはわからない。だが名を呼ばれたなら、笑顔で返そう、これがリュンヌにできる精一杯であった。
遠くで三人の様子を伺っているサリエヌが忍び笑いを洩らしているところが想像できる。今自分は、好きだと言った相手に背を向け、別の男にまるで恋しているかのように微笑みかけている。いったいどうしてこんな状況になってしまったのであろう。
さわさわと草が風に揺らされている。
王は一瞬目を見開いた。
しばらく間がある。
彼は目を伏せた。
筋肉たくましい腕がわずかながらに震える。リュンヌは無意識のうちにそっととってみた。
見上げれば、なんとしわくちゃの老人がいるのだろうか。彼は頼りなく、老木のように立ち尽くしている。踏み出すことも留まることもあやふやで、今にも崩れ落ちそうだと感じてしまう。リュンヌはそんな王を見て言葉を失った。
今にも泣き出してしまいそうな王は、こどものようだった。
「どうしたのです」
ためらいがちに声をかければ、いっそう王は喉をひきつらせた。
「いや」
王はリュンヌをさらにきつく抱きしめた。
「あのう」
背後に控えているソレイユはどんな表情だろう。
後頭部に大きな手が置かれ、王の懐に押し付けられた。息ができないほどの強い力に、不思議と不快にはならなかった。
今、王がリュンヌと「アリィ」を取り違えたとしても取り乱したりはしなかっただろう。王は自分の肩越しに違う「誰か」を見ている。心の妻だったと、サリエヌは表現していた。妻にはなれなかったが、彼の唯一の妻だったのだろう。
彼の理想はアリィただひとりであった。故に、リュンヌがサリエヌに似ているのではなく、また逆でもなく、アリィに似たふたりだったからここにいるに過ぎない。
「リュンヌ」
だが彼は、アリィではなく「リュンヌ」と呼んだのだ。初夜の時と、今といったいどこがどう違うのであろう。

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