第三章 新たなる客 2 back next

 

 


 マリアの紹介と共に寝室へ入ってきた女は、靴音を響かせながらまっすぐリュンヌの寝台に向かってきた。歩き方は優雅で、背筋を伸ばし自信に溢れている。亜麻色の髪をゆるくまとめ上げ、健康そうな肌に合う若草色の細身のドレスはシンプルなマーメイド型。フリルも装飾もないドレスはそれ故に着用する婦人の気品をそのまま引き立てている。
 婦人が近付いてくると、マリアは身体をずらして道をあけた。
 目元は婦人の人生を物語るように鋭く、唇は薄い。肌は十代と違って張りでは劣るが、内からにじみ出る知性に伴う威圧は他のものの追従を許さない。思わずリュンヌは婦人に対して、劣等感を抱いた。婦人には女性としてあこがれるものが備わっていたからである。
 サリエヌと呼ばれた女は寝台の前に立ち、ゆっくり王妃に視線を向けた。
 王以外の人間は、寝台で横たわる王妃を決して上から見下ろさない。サリエヌは膝を折ることはおろか王妃と視線の高さを合わせることすら嫌った。周囲の侍女が息を飲み込み、ふたりを見守る。無礼な振る舞いに、しかしだれも注意することはなかった。
「まあ」
 サリエヌはもう一度自分の見たもの確認すると、気の抜けた声をあげた。開いた口は塞がらず、まるで珍しいものを見つけたように、上体をリュンヌに近づけそして絶句した。
リュンヌはというと、同じようにサリエヌを凝視した。
互いに絶句した理由は違っている。
リュンヌは喉の奥をひきつらせた。婦人を形作るパーツが、己に似ていたからだ。歳をとればこのような顔になり、このような表情をするだろうと一瞬で思い描くことができるほど。
「まあ! なんて貧相な子猫ちゃん。どこから拾ってきたの」
 サリエヌは知性を感じさせる顔からは想像がつかないほどの素っ頓狂な声をあげた。その場の誰もが顔をひきつらせ、微動だにしなかった。しかし言われた本人は、彼女の言動のほとんどを聞き逃していた。
「こんにちは、サリエヌ」
 リュンヌは今、サリエヌと対等に見えるよう振舞うことに頭がいっぱいだったのだ。
「寝台の中からごめんなさい」
 上等だ、マリアだけがその場から一歩退いてふたりの成り行きを見守っていた。リュンヌは確かにサリエヌに比べれば子供だが、身分は比べるべくもない。となればマリアが言うべきことはひとつだった。
「口を慎んでください、王妃に対して失礼です」
 サリエヌはマリアのかつての主人だったはず。事情を知っている他の侍女たちは再びぎょっとしてマリアに好奇の視線を向けた。
「あいかわらずいけ好かないわね。それで今度の王妃さまがあなたってわけね。庇う相手がひよこじゃ、その傷もつけられ損ね」
「え」
 リュンヌはサリエヌからの暴言を今やっと聞いてしまったのだ。聞き違いか、見上げたサリエヌは上品な笑みを浮かべている。つられて微笑みを返したがひきつってしまった。
「あら、心配しなくても聞き違いじゃないわ」
すかさず満面の笑みでサリエヌは言った。
 リュンヌは反論しようとして、言葉を飲み込んだ。自分と目の前の女性を比べれば、誰だってサリエヌに同意するだろう。今、それを表立ってしないのはリュンヌが王妃だからである。
 マリアに救いを求めたが、返ってきた視線には「しっかりしなさい」という意味が含まれていた。リュンヌはもう一度サリエヌに向き直る。一度苦手だと思えば、視線もまともに合わせられなくなってしまった。
「マリアに助けを求めたって無駄よ。まあったく無駄。だってあの子は叱ることしかしないのだもの。窮屈よね。遊びは必要だわ」
 軽く笑ってから、サリエヌは思い出したように小さな包みをバッグから取り出し、美しく長い指でつまみ上げ、もう一方の手でリュンヌの手を引き寄せその上に乗せた。白い布で包まれた正方形の箱は、リュンヌの手のひらより少しばかりはみ出すほどの大きさだった。
 サリエヌの手が離れると、包み本来の重量がリュンヌの手にかかる。が、それほど重いわけではなく、上下に振るとかすかに乾いた音がした。
「なんですか」
「クッキーよ。おとといソレイユが差し入れしたでしょう? 私が焼いたの」
「サリエヌさま、これは一度お預かりいたします」
 低い声でマリアが割って入った。
 その差し出されたマリアの手に、サリエヌは興ざめして手を払いのけた。
「毒なんて入っていないわ」
 けれどもマリアには、確かめる義務があるのだ。ソレイユに散々忠告されたではないか。
「まあ、それがお仕事なんでしょうけれどもね。つまらないじゃない?」
「マリア」
 懇願ではない、静かな声は命令だった。 
気分を害したサリエヌを見て、リュンヌは好意を受け入れるべきだと声音に含めた。マリアははっと一礼して引き下がる。
「ありがとうございます。先日も美味しくいただきました」
「シュッダイナは意外に甘いものが好きなの。あれだけじゃ足りなかったでしょう、だから」
「……」
 言外に多くのものを含ませ、サリエヌは挑発するように微笑んだ。
彼女の言いたいことはなんだろうか、予想できる数が多すぎて即座に返答することができない。しかも気がかりなのは、彼女がソレイユはおろか、シュッダイナ王までも呼び捨てにしている、否、することができるとはどういう身分なのだろう。そういえばサリエヌの苗字がドグマニードではなかったか。ソレイユとなんの関係があるのだろう。
リュンヌはソレイユの名を口にしそうになって慌てて堪えた。彼の顔を思い出すだけで顔が熱くなる。
 気を紛らわそうとして、もらった菓子を両手で包み込むようにして弄ぶ。この場で包みを、しかも自分ひとりで開けることは大丈夫だろうか。このような対処の仕方など、マリアに教わったことがない。気を紛らわそうとして、逆に不安になってしまった。
「サリィか」
 野太く低い声がぴんと張り詰めた空気を裂いた。リュンヌは瞬時に身体を強張らせる。あの夜のことを思い出したくはない、けれど身体が覚えている。声を聞いただけで怖いと感じてしまう。
 重量感のある靴音が室内に響く。サリエヌが、あ、と非難の声を上げるほど、リュンヌは無意識のうちに強く菓子の包みを握り締めた。
「ソレイユが探していたぞ」
「あら、シュッダイナ。お久しぶりね。それにしても子供じゃないのだから、王妃様のところへ挨拶に伺うと言って来ましたのに」
 艶めきかすれた声がリュンヌの頭上で交わされる。リュンヌはふたりの間に少しも入ろうという気がなかった。できれば自分のことなど忘れてさって欲しいとさえ思う。だがそんなリュンヌの思いをよそに、シュッダイナは腰を屈めて覗き込んできた。
「我が愛しの娘」
 頭上で失笑するサリエヌを無視して唇を寄せてくる。反射的に身を引こうとしたリュンヌだが、王は王妃の後頭部を支えてさらに引き寄せようとする。抗えるはずがなかった。
 受け入れた唇はぶ厚く、荒々しいまでに情熱的だった。その間、リュンヌは無心になろうと眼を閉じた。
「そうそう。今日、王妃様とお食事を共にしたいのですが、いかがでしょうか」
 口付けが終わり、王の肩越しにサリエヌの視線が合う。彼女は口元だけを緩ませて、ふたりを見ていたのだ。
 途端、羞恥により顔が熱くなる。客人の前で。なんとふしだらなことだろうか、サリエヌの瞳はそのように語っていた。否定したくとも状況は事実である。リュンヌはさっと視線を逸らし、王の胸に隠れた。
「いかが?」
 楽しむように、追い討ちをかけられる。これではサリエヌと自分の立場が逆ではないか。リュンヌはごくりと唾を飲み込む。覚悟を決めたはずではなかったか。忘れそうになる決意を再び思い出した。このように見下されるのが嫌だった。
「喜んで、サリエヌ」
 少しでも気を抜けば、身体が震えそうになる。
「リュンヌ」
 王が心配そうに覗きこんでくるが、リュンヌはそれを首を振って拒否した。
「けれど、私は寝台から起き上がることを許可されていないの。失礼でなければ寝室でよろしいでしょうか」
 すべては自分の安心できる陣地で。
「結構だわ」
 サリエヌは目を細め、薄く笑った。
 

 

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