第二章 太陽 2 back next

 

 



 リュンヌは大勢の侍女たちに囲まれて一歩も動けなくなってしまった。
 顔を両手で覆い、顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうである。
 自分の香水に吐き気を覚え、侍女たちが待つ控えの間に助けを請うように駆け込んだのはいいが、落ち着きを取り戻した後で自分がとんでもない粗相をしたことに気付いた。
 相手は物腰柔らかくとも、王の甥である。
「どうしよう」
 頭を抱え込み、起こったことへの対処まで頭が回らない。蛙の断末魔のような声は響いただろうか。
 侍女たちもリュンヌの心境に惑わされたのか、同じように動揺し困ったような表情を浮かべた。
「あ、あの方は?」
「帰られましたよ」
 硬質な響きの声が、頭上より投げかけられた。マリアである。
 リュンヌは恐る恐るまるで暴力を避けるように、頭を抱えた手の隙間からそっとマリアを見上げた。
「怒ってた?」
「リュンヌ様」
 ぴしゃりとマリアは言い放つ。屈みこんで、目線をリュンヌと合わせた。
「あなたは誰ですか。どうして下々に気遣う必要があるのですか」
「でも」
「午後は王様の政務も終わります。あなたとの時間を持ちたいと、女官から連絡がありました」
 ぎくりとリュンヌの心臓ははねた。
 どうして今、王の話が出てくるのか。
「でも」
 リュンヌは駄々っ子のようにマリアの腕を掴んで首を振った。どうしてもソレイユに対して申し訳なさと、恥かしさがないまぜになって消えないのだ。彼は決して微笑みながら去ったのではないだろうから。
 マリアは息を深く吐き出し、幼子に言い聞かせるようにゆっくりと区切りながら言った。
「ソレイユ様は、この大事な時期に、このように長居をしてしまい、大変申し訳ないとおっしゃっていました。どうぞご自愛くださいとも。これでよろしいですか」
 リュンヌは言われた言葉を反芻して、ようやく納得した。マリアから爪をたてんばかりに強く握った手を離す。
「あるまじき行為をしてしまった」
「身重の身体です。しばしばあることだそうですよ」
「そうなの?」
 上目遣いに見上げ、確認の意を込めれば深く頷くマリアの姿がある。
「しゃんとなさいませ」
 リュンヌは腹に手をあてた。そこになにものかが入っているという。動きもしないし、声も聞こえない。本当かどうか疑わしい。なのにあの日より、周囲は異常なまでの優しさをリュンヌに振りまいた。同時に過保護にもなった。だがマリアだけは厳しくなったように思う。
「本当に?」
「私は嘘をつきません」
「じゃあ」
 言いかけてリュンヌは口をつぐんだ。
「思い出してください、あなたはいったい誰ですか」
 再度問いかけるマリアに対し、リュンヌは怯えたように唇を震わせる。
「私は」
 リュンヌは一度区切り、決意を込めてマリアを見上げた。しかし。
「――王妃に、見えるかしら」
「え」
 断言するはずだった単語を疑問に変えて。
 その言葉はマリアをたやすく絶句させた。今までの努力を王妃自身が信じていないなど、だれが想像できるだろうか。今まで育ちの良い、礼儀作法は身について当たり前の娘たちに仕えてきたマリアだ。リュンヌの不安など、心底理解できようはずがない。
「なにが、なにを、どうやって。マリア、私はいつも考えているの。こどもができたと言われて、実感はないけど、王妃って後継者を生むためにいるのでしょう? だから少しは王妃の仕事ができたと思ったの。でも、じゃあ、それ以外は?」
 リュンヌは己の立場を確立するために決意をしたはずではあるが、その裏で常になにかしらに怯えてもいた。だが不安やおそれを口に出すことで、決意が揺らいでしまうのではないかという危惧もあった。
 マリアは長いことリュンヌを見つめていた。やがて大きく息を吐き出す。いつもそうだ、彼女がリュンヌに話しかけるときは、まるで母親のよう。
「王妃に定義などありません。強いて言うならば王の妻であることです。王を助け」
「でも皆は私に王妃であるよう、貫禄も威厳も作法も礼儀も徹底して教えこんだじゃない」
 マリアを遮り、リュンヌはまくし立てた。
「王妃としての定義ではありません。王族としてのたしなみです」
「っ」
「私たちができることはそれぐらいしかありません。王妃としてあろうという志は立派です。ですが、私たちにその定義はわかりません。あなたがそう思うとすることを目指しなさい」
「目指しなさいって」
 マリアは力強く頷いて見せる。背中を押すように放たれた言葉は、しかしリュンヌの心に新たな不安となって落ちてきたのだ。今までそんな世界に縁のなかった生活を送っていたリュンヌにとって、手本となるべきものがない以上、マリアの出した課題は至極困難であるように思えた。
「こだわりすぎですよ、リュンヌ様。王があなたを娶られた、これが重要なのです。自信を持ってください」
 眉根に皺を寄せるリュンヌに、力を抜いた声音でマリアが言った。 
 マリアは終始自信のないリュンヌを勇気付けようとしていただけである。だがリュンヌは侍女頭の言葉によって、今度は苦々しい顔つきになった。喉の奥に這い上がってきた不愉快な言葉を飲み下さなければならなかったのである。
 自嘲気味に口の端を上げて笑みをこぼす。
――愛されてもいないのにね。

 

 

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