第二章 太陽 1 back  next

 

 


――肌着すら胸を締め付ける。
 実際締め付けているのは別のものであろうに。
 着替え一式を腕にかけたままマリアは嘆息した。

 王妃であるリュンヌの懐妊がわかった翌日、仕立て屋のマールが愛想笑いを浮かべながらひとりの青年を連れ立って現れた。
 とはいっても青年は仕立て屋の召使や息子でもなく、むしろ仕立て屋の方が青年に従っている風であった。
 リュンヌは青年と対峙した瞬間、息を飲んだ。
 さらさらと流れる金の髪に、青い瞳。健康的な白い肌にはシミ一つない。身体つきは細くしなやかで、立ち振る舞いは優雅。
 ソレイユと自ら名乗った。
 片膝をつき、胸に手をあててお辞儀をし、リュンヌの手の甲にそっと唇を寄せた。
リュンヌは反射的に手を引っ込めた。顔が一瞬で熱くなるのが自分でもわかった。
 ソレイユはしかし、リュンヌの怯えた態度に不満の表情も一切見せず、にこやかに立ち上がって一礼した。
「王妃様、あまり気分がすぐれないとのこと。本日は私の領地で採れた新鮮な果物を持ってまいりました」
 リュンヌはなぜ、と口をついて出そうになるのをようやくのことで踏みとどまった。王妃はいつの時でも凛としていなければならない。贈られるということは、王妃だと認められていることなのだ。そして認めさせなければならない。
「まあ、ありがたく頂戴するわ」
「そして」
 ソレイユは背後に控えている仕立て屋とリュンヌを交互に見た。
「お子様に負担がかからないようなドレスも持ってまいりました。身体を締め付けるのは母子共に悪いそうで。――よかった、こんなにかわいらしい王妃様ですから、お持ちした甲斐があります」
「無礼なっ」
 マリアが小さく呟く。だがソレイユに聞こえる程度ではない。同時にリュンヌは、なぜマリアがソレイユの一言で立腹しているのか理解できずにいた。
 リュンヌは請われるまま仕立て屋の持つ姿身の前に行き、侍女のひとりからドレスを受け取る。
 ハイウエストの切替から広がるフレアは、お腹をまったく締め付けないデザインになっている。羽織り物もドレスに合わせて職人が丁寧に編み上げたアイリッシュクロッシェレースで、その立体的なつくりをリュンヌは初めて目にした。
「すごい」
 我を忘れてリュンヌは言葉遣いを忘れてしまった。けれどソレイユは王妃が庶民の出であることの一切に触れず、また態度も王妃に対してのそれであるように思われた。マリア以外は。
「そういえば王妃様は、散歩はお好きですか。後宮にこもりきりでは不調のままでしょうに」
 仕立て屋を早々に追い出し、ソレイユとふたり向かい合って茶を楽しんでいたときである。ソレイユはカップを持ち上げ、上目遣いでささやいた。
 リュンヌは咄嗟にはこたえない。それくらいの慎重さは備わっていた。背後に控えるマリアに確認すると、侍女頭は頭を横に振る。わかっている、今の体調では突然の粗相をしてしまうかもしれない。
 しかも相手は王の甥にあたるという。第一王位継承権を持つ、ソレイユ・グレゴワール・ドグマニードはシュッダイナと違い、気さくな青年だった。リュンヌが断るのを見越していたのか、彼は笑みを崩さずそうですか、と言っただけ。相手に気負わせないさりげなさがある。
「では盤上のゲームでもしませんか。僕はあなたともう少しお話がしたい。それに明日の祝いのパーティまで退屈なので。あなたもそうでしょう?」
 だが強引でもあった。
 マリアがリュンヌに一歩近付く。
「え、ええ。でも私はゲームなんてやったことがなくて」
 すでにリュンヌはソレイユの前で気取ったり自分を偽ったりはしなかった。またそうさせたのはソレイユなのだが、侍女頭のマリアにとっては喜ばしいとは言いがたかった。
「リュンヌ様は少しお疲れのようです。また考え込むゲームのような遊びは、気分をさらに悪くされるでしょう。差し出がましいようですが、退屈なようでしたら余興を」
「いや、結構。僕はあの叔父が執心する方に興味があるだけ。王妃様がお相手してくれないのであれば、自室で本を読みますよ。それに――あなたに会えたのがうれしくて無理をさせてしまったようです。体調が安定しましたらお茶の相手でもしてください」
 嫌味なくソレイユはウィンクをして立ち上がった。
 マリアはまだ警戒を解かない。
 リュンヌはソレイユにつられて慌てて立ち上がる。すると自分に振りまいた香水の匂いが鼻を刺激し、思わず口元を押さえた。すかさずマリアが背をさすったが、リュンヌはその手を払いのけ奥の間に駆け出した。
「申し訳ありません、あのようにリュンヌ様は体調が悪く」
「だから、僕が無理をさせてしまったと言っているだろう。王妃のせいじゃない。ところで、――そっくりだね」
「……」
「いやいや、僕が知っているのは肖像画の中でだけど」
「口外しませんよう」
「誰に言っているんだ。そんなくだらないことで煩うことなんてありえないだろうよ。ところでお前はなんでそれを知っているのかな――ああそうか」
 ソレイユは突然目を細め、口元を歪ませた。
「サリィの侍女だったね」
「そうです」
「今、どんな気持ちだい」
「っ」
「かつての主人は、王に嫁いだはずなのにお前を置いて第一王位継承権を持つ甥のもとへ走った。お前は次々変わる主人を相手にしてきて、今度は子供が主人だ」
 マリアはソレイユを睨みつけるに留まった。
「僕も心中穏やかじゃないんだよね。王妃を僕によこしてくれるのはいい。今度のは願い下げだけど。ただ、子供が男児だった場合、僕の第一継承権は第二となるんだよ。まあ、子供が成人するころには、とっくに叔父上は死んでいるだろうし、幼い王より、判断力のある僕を推すだろう。彼女が実権を握ろうとしなければ」
 彼女とはすなわちリュンヌのことであることは明白である。
「お前、少し甘すぎるね。僕があのドレスに毒針を仕込まないとなぜ考えない? あの菓子にも、果物にも。王妃を僕に対面させ、お前は後ろで見物か?」
 マリアの顔色が変わる。
 ソレイユはくっと喉の奥で笑った。
「彼女が叔父の焦がれる女の子供だから問題なんだよ。それ以外ならなんとでもできる」
「なにかするおつもりですか」
 ひゅっとマリアの喉がなる。かといってソレイユをどうすることもできない。彼女には武力も権力もない。
「王妃に対する僕の非礼を詫びろというなら、僕に対するお前の非礼も詫びてもらわなければならないよ」
 ソレイユは口調を和らげ、少し微笑んだ。
「ご教授、ありがとうございます」
「わかってもらえてなにより」
 ソレイユの警告は、今リュンヌを取り巻く環境を指している。
 マリアは改めて姿勢を正した。深く一礼する。
「もっとも、後宮の深くに入り込んだ僕は、もっと王妃様にお詫びをしなければならないね」
 普段女性に対するようにソレイユはやわらかく微笑んだ。

 

 

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