第一章 染まっていく者 3 back / next


 王妃への謁見は花の香りが充満した後宮の一室で行われた。
 代々王妃の衣裳部屋として使われてきた室内は、色とりどりの布でひしめき合っている。
 どれも贅をこらしたドレスばかりで、あちこちに宝石が縫いとめられ光を受けてきらきらと輝いていた。中には整頓できずに重なり合ったドレスの山もある。
 中央には現王妃であるリュンヌと、侍女のマリア。跪く仕立て屋がいた。
 小太りでひげ面をした仕立て屋は、オーガンジー素材の薄紫の布を腕にかけ、手には黒曜石をあしらったネックレスを持ちしきりに愛想笑いを振りまいている。
 仕立て屋は脂汗を滲ませ、王妃に似合う色を探そうとしていた。その焦り具合はリュンヌにもたやすく伝わるほどだった。いくら少女と言われようと、王の年齢を考慮すれば十四の娘が王妃と誰が考えようか。さらにリュンヌは仕立て屋が苦慮するほど、平坦な身体つきなのだ。これには体型にフィットするようなシンプルなデザインはもってのほかであるし、かといってパニエとフリルをふんだんに使えば、返って幼児性を強調してしまいかねない。
 さらに仕立て屋を追い込んだのは「王妃らしく」という文句である。まったく、この娘を王妃らしくするとはどこをどうすればよいのだ、仕立て屋はいつもは饒舌な口が今日に限って貝のように閉じたままだった。
「もういいの」
 リュンヌは心の中で何度舌打ちをしただろうか。背後に控えているマリアは微動だにしない。彼女こそ率先して王妃に似合う色やデザインを助言することもできるであろうに。
 しかしリュンヌは仕立て屋の困惑も充分に理解していた。
「仕立て屋、名は」
 予想もしなかった突然の問いに、仕立て屋は飛び上がって後ずさり、すぐさま跪いて頭を垂れた。
 これにはリュンヌは呆気にとられ目を丸くした。
「わ、わたしはっ」
 名を覚えてどうするというのだろう、仕立て屋は必死で考えたに違いない。それでも搾り出すように己の名を告げる。
「そう。じゃあ、一ヶ月先にまた来てくれるかしら」
「え」
 今度は仕立て屋が目を丸くして顔を上げた。
 リュンヌは眉根に皺を寄せ、仕立て屋ではなくそのずっと向こうの先にある代々の王妃
のドレスを睨みつけているようだった。
「私が至らないのね」
 それがよくわかったのだ。
 マリアでさえ口を挟まない。
「そ、それはどういう」
 仕立て屋が酸欠の魚のように口をぱくぱくさせる。しかしすでにリュンヌはふたりに背を向け、衣裳部屋を出て行った後だった。
「まっ」
 青ざめた仕立て屋は、この世の終りを宣言されたかのように悲鳴をあげた。己の立場もわきまえず追いすがろうと立ち上がりかけたときだ。すかさずマリアが間に割って入った。
「一ヵ月後」
 初めてマリアの声を聞いた仕立て屋は、たった一言に気圧されてずるずるとその場に座り込んでしまった。
「お越しくださいませ」
 慇懃にマリアは頭を下げた。

 靴音で侍女のマリアがついてくるのを確認して、リュンヌはため息をついた。
 立ち止まり彼女が追いついてくるのを振り返らずに待つ。
 衣裳部屋から続く渡り廊下は庭に面しており、季節によりその容貌を変える。初夏、新緑が目に鮮やかであり、涼やかな空気が漂っていた。花色は白を基調としており、背丈は様々である。
「マリア」
 しかしリュンヌは、両手を広げ細部まで己の身体を見つめた。
 ひ弱な身体つきではあるが、病気がちではなかった。熱が出たのは片手で数えるほどであったし、胃腸を壊したことなど一度としてない。
 だが育ちは悪かった。特に母親が他界し、教会に引き取られてからは、自分の思うような行動が取れず常に苛立ちそして考えていた。
教会側は少しでも己の価値観と違うものに対しては非常に冷酷である。もしくは、永遠に諭されるのだ。
「一ヵ月後になにかおありなのですか」
己の立場を勝ち取らねばならない。
マリアの質問を遮ってマリアは抑揚なく続けた。
「徹底的に」
「え」
 断片的に続くリュンヌの言葉に、マリアは辛抱強く待った。
「私を」
 うつむき拳を握る小さな少女の目は、虚ろではなく力がこもっていた。
「教育してちょうだい」
 マリアは驚きもせず、リュンヌを見た。リュンヌに宿る意志の強さを測るかのように。
 沈黙が降りる。
 リュンヌは挑むような眼差しでマリアを見返し、彼女を照らす太陽の光に目を細めた。
 微風がふたりの間を割って流れ、スカートの裾が揺らめく。
 鳥は木陰に、虫は草むらへ。昼間はいたって静かである。
 どうして、と問う自分がいる。領地も財産も何もない孤児を、わざわざ娶る理由はなんなのだ。持参したものはなにもない。けれど先刻王は承知だった。何者にも換えがたい、故にリュンヌを娶りたいとも王は言った。
 諾とは言った。実際のところ王妃になることがどんなことか、今も昔もよくわからない。ただ一日の大半を後宮で過ごし、なにかに興じるわけでもない。使命が与えられるわけでもない。ただ飾られていればよかった。それなのにあの仕立て屋は、リュンヌを身分相応に見なかった。確かにリュンヌの心は王妃ではなく、未だ教会で世話になっているリュンヌであったのだから。
 己の立場を確立しなければ。それは誰のためでもなく自分のためであるように思う。蔑まれるのは我慢ができない。
 また誰かの身代わりにされるのもまっぴらだ。
「かしこまりました」
 マリアは胸に手を当て、片膝をつき深く頭を下げた。
 自分に向かって跪く侍女の姿に、リュンヌはわずかな快感を覚えた。
 

 

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